2004/07/11
■[ネット文化]ネット世代なんかじゃない
前回の日記で「PC世代」「ネット世代」という単語を使いましたが、そういえば今まで「PC世代」と「ネット世代」の違いについて深く考えたことがなかったので、今回は前回の日記の補足として、これらの単語の意味について考えてみます(一体、何周遅れの話題だろう……)。
そもそも「PC世代」という単語が出たのは、梅田氏の以下のブログが最初でした。
梅田望夫・英語で読むITトレンド:インターネット時代をリードできない「PC世代の限界」(CNET Japan Blog)
http://blog.japan.cnet.com/umeda/archives/001165.html
PC時代のキーワードは言うまでもなく「Personal」。個人のEmpowermentであった。しかしインターネット時代のキーワードは、「World Wide Web」の「ワールドワイド」であり、「ウェブ」であり、「ネット」だ。「個のEmpowerment」ではなくて、「世界中がつながった状況全体のEmpowerment」である。この感覚を心の底から持てないところに、「PC世代の限界」がある。
参考のために、この記事にトラックバックしているエントリを一通り追ってみたところ、何人かの方が「PC世代/ネット世代」の広い定義として「インターネット上の情報を眺めるだけなのがPC世代で、インターネット上のコミュニティに意味を見いだして参加するのがネット世代」という共通した意見を持っているようです。参考にさせていただいたブログを以下にご紹介しておきます。
- インターネットコミュニティは「村」段階(Unforgettable Days)
- インターネットを生活の場に出来るか?(Programmer'sEye)
- 「ネット世代論」を「匿名性」とスッパリ切り離してみる(技術系サラリーマンの交差点)
- 私たちがネットを通して見ているもの・築いていくもの(Doblog - デジモノに埋もれる日々 -)
- [P2P] インターネット世代論・再び(Netcom Blog)
これらのサイトでの意見に僕もおおむね賛成なのですが、「コミュニケーションのために提供する情報をどう見るか」という視点でこの定義をもう少し細分化することもできそうです。それは
- 情報にどの程度の信頼性を期待するか
- 情報の所有権は誰にあると考えるか
という視点です。
●情報にどの程度の信頼性を期待するか
これは、インターネットには「正しいことが保証された完全な情報を公開すべき」と考えるか、「正しいかどうかは分からないけど、現時点では正しいと思う情報を公開すればいい」と考えるか、という違いです。つまり、中途半端な(または完全な答えなどない)アイディアを公開して、Web上で思考のループを回すことができるかどうか。
プログラムに例えるなら、前者は「プログラムはバグのない完全なものでなければならない」という考え方で、後者は「完全なプログラムなどないのだから、問題が発生した時点でパッチを当てればいい」という考え方と言えます。後者はまさにオープンソースプロジェクトの考え方で、次の所有権の話にも関連します*1。
●情報の所有権は誰にあると考えるか
こちらは、「自分が公開した情報の所有権はあくまで自分のもの」と考えるか、「自分が公開した情報はみんなで作る大きな情報の一部なので、所有権はみんなのもの」と考えるか、という違いです。
ツールによって使い方が完全に束縛されるわけではないのですけど、特定の人間が編集するblogは主に前者の考え方で、複数の人間が編集するWikiや2ちゃんねるは後者の考え方のような気がします。そして、後者の考え方を法的に補助するために存在するのが、WikiPediaの採用するGNU Free Document Licenseやクリエイティブコモンズのようなライセンスなのではないかと。GPLに従うLinuxのようなオープンソースプロジェクトの考え方も後者ですね。
とはいえ、後者の場合も「所有権はみんなのもの」と言っても誰でも使っていいというわけではなくて、情報を作る過程に参加していない人間が勝手に使おうとすると「コミュニティの外の人間には使われたくない」という抵抗が起こるケースが存在しているようです*2。こういう要求がコミュニティに存在する場合、それをどうやってライセンスとして表現するかは今後問題になるような気がします。
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以上の「情報にどの程度の信頼性を期待するか」「情報の所有権は誰にあると考えるか」について、(実際にどちらを選択するかは状況によるとしても)それぞれの後者の考え方を受け入れられるかどうかが、狭義の「ネット世代」に当てはまるかどうかを左右する試金石になる、と僕は思います。
で、この試金石を自分にあてはめるとなると……僕はあまりWikiや2ちゃんねるを積極的に使う気にはなれないでいるので、この狭義のネット世代には当てはまらないような気がします。なんとなく。前回の日記で『単に僕がネット世代の感性を持ってない、というだけのことなのかも』と書いたときの気分もそんな感じでした。
(私信)「自分は進んだ人間だー!」なんて自信を持って言える人間なんてそうそう居ませんって、やっぱり。
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(2004/07/12追記)
文中では「PC世代/ネット世代」という単語を使っていますが、僕はこれを世代論だとは思っていません。今回の文章は単に「ネットで出来るようになったことに順応できる頭の柔らかい人と、そうでない人の違い」についての文章として書いたつもりでした(説明不足ですみません)。文中で例に挙げたオープンソースプロジェクトなんて、それこそ昔からあるわけですし……。なので、「ネット世代」という言葉を「ネット思考」とか「ネット属性」とかに置き換えるとしっくりくるかもしれません。
ただ、長時間ネットに触れているヘビーユーザの方が順応できる可能性が高いという意味では、当然世代毎に「PC世代/ネット世代」の比率は違うと思いますけど。
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(2004/07/12追記2)
どうして、自分が「ネット世代」である事を否定するのか?(アンチネット世代)(Next today ダブルスラッシュ)
http://blog.livedoor.jp/kozai22/archives/4241950.html
反応リンク。横田さんが「ネット世代」より更に若い「アンチネット世代(=ぱど厨)」について考察されてます。
*1 otsuneさんのサイトで以前こういう話題(不確定な情報を公開する技術者は信用できるとかなんとか)を見たような気がするのですが、記憶があやふやで、探しても見つかりませんでした……。
*2 参考:とある掲示板で生まれたキャラクターを雑誌で無断転載した際に起こった抗議行動の実例→Meのお部屋。ただし、これは単にタダ乗りを嫌がっているというレベルの話でもなさそうなので、問題の一般化には向かないかもしれないです。もうちょっと古い話題ではこちら→タカラ「ギコ猫」商標登録問題と 2ちゃんねる
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